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部外者の、要らぬおせっかい [忘備・記録]

以前、こんなポストをしました。

則武保育園の床材

久しぶりにアクセスしようとしたら、URLが変わっていました。
早速、差し替えておきました。

http://mago3manabi.org/yuka.html

そこには、昨年、2009年9月に、則武保育園の関係者が、仙台まで、訪ねていったときの様子が紹介されていました。
何だか、ものすごく、ほっとしました。

こういうのを、部外者の、要らぬおせっかいといいます。


いとうとしひろ

待機児童解消と保育所の最低基準緩和 2 [忘備・記録]

待機児童を解消するためには。
例えてみれば。
タクシーがなかなか来なくて、行列を作って待っている人が大勢います。(待機児童)
行列を解消するには、タクシー会社(国・市町村)が、タクシーの台数(保育園の数)を増やすことが必要です。と述べました。

もうひとつ、新たなタクシー会社に新規参入してもらう、という方法もあります。
タクシー会社の数を増やすことで、タクシー台数の総数を増やそう、ということです。

さて、新しいタクシー会社を設立して、この業界に新規参入したいと考えている法人があります。
ところが、車輌をそろえよう(保育園の新規開設)としたら、「車検制度」(最低基準)というものがあるではありませんか!!
曰く、「シートベルトが必要です」、「バックミラーを装備してください」、「クラクションも必要です」、「ブレーキランプや、方向指示ランプが、玉切れしていてはいけません」。。。
そんな、ちゃんとした車輌をそろえなければタクシー業務を始められないなんて、新規参入の壁、ハードルが高すぎる!これでは、いつまでたっても新規参入が進まず、タクシー待ちの行列は、いつまでたっても解消されないぞ!!

そうだ!「車検制度」をなくしてしまえばいいんだ。もしくは、条件をうんと緩和すればいいんだ。
シートベルトもバックミラーもなくても、クラクションが鳴らなくても、ブレーキランプも方向指示ランプも光らなくても、「人を乗せて走ることは出来る」。
スクラップ寸前のポンコツを安く集めてきて、それでタクシー会社を始められるように、制度・法律を見直せば、新規参入がしやすくなるぞ。開業資金を安く抑えられるぞ。

タクシーを待っている行列の中からも、こんな声が聞こえてきます。
「もう、乗れさえすれば、どんな車輌でもかまわん。ブレーキの効きが少々甘くても、タイヤがツルツルに磨り減っていてもいい。」「とにかく、乗れさえすればいいんだ!」

本当に、そんなタクシー会社が営業を始めても構いませんか? 乗りたいですか?



伊藤稔弘@車輌の整備状況は、お客の側に、見極めの責任が発生するということです。
2010年1月25日

待機児童解消と保育所の最低基準緩和 [忘備・記録]

例えてみれば。
タクシー乗り場で、タクシーがなかなか来なくて、行列を作って待っている人が大勢いるとしましょう。(待機児童)

行列を解消する、最も根本的な解決方法は、タクシー会社(国・市町村)が、タクシーの台数(保育園の数)を増やすことです。
最低基準の緩和は、いわば、定員5人乗りのタクシーに、無理矢理、6人、7人乗ってください、というようなものです。後部座席に3人座っているのを、「すみませんね。ちょっとつめてください。」と、4人目を押し込むように乗っていただこう、というようなことです。
さて、この4人目の人には、シートベルトがあるでしょうか?運転手さん(保育士)が、どんなに安全運転を心がけても、万一の事故の場合に、安全を確保できるのでしょうか?

あなたは、そんなタクシーに乗りたいですか?

今、国がやろうとしていること(最低基準の緩和)は、1台のタクシーに、どれだけの乗客を詰め込めるか?「ええい!詰め込んでしまえ!!ひとりでも多く乗せることがいいことなんだ!!!」とばかりに、トランクの中にも、屋根の上にも、乗客を乗せようとしているようなものです。

タクシーを待っている行列が、少しでも短くなれば(待機児童の解消)、それでよし。
といわんばかりです。

本当にそれでいいのでしょうか?
乗客は、とにかくタクシーに乗れさえすれば、屋根の上でもいい!と、本当にそう思っているのでしょうか?(保育の質には目をつぶる)

=====
かなり強引ですが、こんな喩えを思いつきました。


伊藤稔弘
2009年11月9日

*昨年の11月に思いついて、手元においてあったものを、少し書き直しました。
2010年2月1日

ミニシンポジウムに参加しました [忘備・記録]

テーマ:こどものちから 自然のちから おとなの役割
講師:内田幸一
日時:2009年6月21日(日) 10:00~15:30
会場:グリーンパレス春日井
主催:子育ち園 でんでんむし

午前中が講演会と質疑応答。午後は、講師を囲んでの交流会。
午後は別の予定があったので、午前中の講演会のみ参加。

講師の内田氏は、東京で幼稚園教諭を勤めた後、長野県の飯綱高原に移って【森のようちえん】をはじめる。子どもたちの野外活動に関わって30年、という方です。
おたずねしたかったのは、次の3点。
1、なぜ幼稚園教諭を辞めて、「森のようちえん」を始めたのか。
2、この30年間で、変わらなかったことは何か。
3、逆に、変わったことは何か。

驚いたことに、全く同じ質問をされた方がいました。誰だろうと思ったら、以前、岐阜ながら森のようちえんでお会いした方でした。

内田氏の回答は次のようでした。
1、当時(1980年代初め頃)、不登校やいじめ、校内暴力など、子どもの育ちに異変が見られるようになって来た。このままではいけない。何かしたい、何とかしたいとの想いから、始めた。
2、いつも子どもを見てきた。常に、子どもを中心に考えることは、変わらない。
3、自然の中で子どもを育てることは、きっと子どもにとっていいはずだと思ってきたが、30年前は、「いいはずだ」「いいんじゃないかなぁ」としか言えなかった。
今は、これが確信になった。「いい」と断言できるようになった。
また、プログラムの組み方が巧妙になった。熟練、練達した。

講演内容で、心に残ったことなどを。
・「明日はきっと素晴らしい」と思える子どもを育てたい。
・おとなの役割は、経験できる「場」を提供すること。
・所詮、断片的なことしか経験させられない。
・それらを統合するのは子ども自身の中であり、子どもにはその力がある。
・一人では出来ないことがある、ということをわかって欲しい。
・人の手ではどうしようもないことがある、ということを伝えたい。天気や重力など。
・子どもが関与できる部分を残すようにしている。
・中学生という、分別が付いてしかるべき年齢の子が、いじめをする。
←育っていない。←←そういう子どもたちを作ってきたのは、私たちおとなだ。
・小学生のプログラムで振り返りをするようにしている。
・その日の活動を振り返り、自分の心の中で巻き起こったことを正直に言えることは素晴らしい。
・正直に言えるということは、仲間を信頼しているということだ。
・1970年代後半から80年代前半。幼稚園教諭時代。「子どもが遊ぶことは大切だ」と認めてくれる親たちがいた。

==========
わずかな会場協力費のみで、映像も見せていただけたし、いいお話を聞けました。
なかなか、都合をつけられませんが、出来るだけ、こういったシンポやセミナーに顔を出すようにしたいです。
何より、自分にとっての学びになりますから。

なぁんて風に考えております。


リンク:
子育ち園 でんでんむし http://plaza.rakuten.co.jp/kosodati/
こどもの森幼稚園 http://iizuna-gakuen.ed.jp/kodomonomori/top.html

則武保育園の床材 [忘備・記録]

http://mago3manabi.org/yuka.html
(URLの変更に気づいたので、差し替えました。2010年3月13日)

驚いた。
と、同時に、なんともうれしかった。
私のような部外者が、うれしい、なんて、おこがましいことです。
このウェブサイトに辿りつくまで、則武保育園の園舎がどうなったかなんて、全く思い至りませんでした。恥ずかしいことです。

このことを、かつての則武保育園の園児たち、卒園児たち、その親御さんたちは、ご存知なんだろうか?則武保育園で活躍された、かつての職員の方たちは、ご存知なんだろうか?
いや、知らないはずはないだろうと思います。

すると、こんなことを想像するのです。
ある日突然、ふらりと、若者が孫三の事務所を訪ねてきます。
そして、懐かしそうに床材をなでるのです。慈しみ、いたわる様から、由縁の者だとすぐわかります。
則武保育園の卒園児です。
孫三の事務所が、長く存在する限り、ありうる近未来の姿だと想像するのです。
本当に、そんな日が来ることを願います。

直接関係のない者にとっては、廃園になった保育園の廃材に過ぎない、ともいえるでしょう。
この保育園に通っていた者にとっては、格別の想いがあっても不思議ではありません。
自分が、リズムで跳ね回った床。仲間と一緒に劇をしたり、合唱したり。オシッコをもらしたり、ヨダレを垂らしたりしたかもしれない。こぼした涙を受け止め、吸い取ってくれただろう。お布団を並べて、お昼寝もした。給食をこぼしたりもしたけれど、一生懸命掃除もした。入園式も、卒園式も、この床の上だった。
そんな、あれもこれもがしみこんでいる床材。

保育園での日々が、心から「いいものだった」と思える者は、いつかきっと、保育園に帰ってくると思う。それは、中高生の悩みを抱えた時かもしれないし、あるいは、親となり我が子を連れてかもしれない。
帰って行こうにも、帰るべき保育園がなかったら。
さびしい、悲しいことじゃないか?でも、それは、その事態に陥ってみなければわからないことだろう。
たとえ床材だけだとしても、遠く仙台の地であったとしても。そこにあり、そこで大切に使われているとしたら、とてもうれしいことじゃないか?



なぁんてことを考えるのでございます。
部外者の、勝手な想像でございます。

ブログ、始めます。 [忘備・記録]

2009年1月10日

本日より、このブログを始めます。

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