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則武保育園の床材 [忘備・記録]

http://mago3manabi.org/yuka.html
(URLの変更に気づいたので、差し替えました。2010年3月13日)

驚いた。
と、同時に、なんともうれしかった。
私のような部外者が、うれしい、なんて、おこがましいことです。
このウェブサイトに辿りつくまで、則武保育園の園舎がどうなったかなんて、全く思い至りませんでした。恥ずかしいことです。

このことを、かつての則武保育園の園児たち、卒園児たち、その親御さんたちは、ご存知なんだろうか?則武保育園で活躍された、かつての職員の方たちは、ご存知なんだろうか?
いや、知らないはずはないだろうと思います。

すると、こんなことを想像するのです。
ある日突然、ふらりと、若者が孫三の事務所を訪ねてきます。
そして、懐かしそうに床材をなでるのです。慈しみ、いたわる様から、由縁の者だとすぐわかります。
則武保育園の卒園児です。
孫三の事務所が、長く存在する限り、ありうる近未来の姿だと想像するのです。
本当に、そんな日が来ることを願います。

直接関係のない者にとっては、廃園になった保育園の廃材に過ぎない、ともいえるでしょう。
この保育園に通っていた者にとっては、格別の想いがあっても不思議ではありません。
自分が、リズムで跳ね回った床。仲間と一緒に劇をしたり、合唱したり。オシッコをもらしたり、ヨダレを垂らしたりしたかもしれない。こぼした涙を受け止め、吸い取ってくれただろう。お布団を並べて、お昼寝もした。給食をこぼしたりもしたけれど、一生懸命掃除もした。入園式も、卒園式も、この床の上だった。
そんな、あれもこれもがしみこんでいる床材。

保育園での日々が、心から「いいものだった」と思える者は、いつかきっと、保育園に帰ってくると思う。それは、中高生の悩みを抱えた時かもしれないし、あるいは、親となり我が子を連れてかもしれない。
帰って行こうにも、帰るべき保育園がなかったら。
さびしい、悲しいことじゃないか?でも、それは、その事態に陥ってみなければわからないことだろう。
たとえ床材だけだとしても、遠く仙台の地であったとしても。そこにあり、そこで大切に使われているとしたら、とてもうれしいことじゃないか?



なぁんてことを考えるのでございます。
部外者の、勝手な想像でございます。
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